ギター特訓
バンド仲間の一人の「突然離脱宣言」以来
私がボーカルと急遽サイドギター担当となったが
前回の私のギターは目前に迫っていた忘年会の
抜けた穴埋め程度に思っていた。
ところがこれ以降、これまでは離脱していった人の趣味を重視して
本来したかった好きな曲が演奏できなかったこともあったようで
今は解き放たれたように、これまで私が聴いたこともない曲が
レパートリーとして提示され始めた。
そしてコードが突然難しくなった。
前にも書いたが、夫が大学生時代憧れていた先輩メンバーが
現在一緒に活動させていただいている方々である。
その彼らが丁度40年前、昭和45年1月10日
福岡市民会館で演奏した時の録音テープが
CDに焼き付けられ送られて来た。
大学三年生21歳という、現在の姿からは想像もできないような
若い彼らの演奏を聴いた。
素人の私が言うのも変だがとんでもなくうまい!
当時、福岡で大学生によるエレキバンドはまだ珍しく
大変な人気だったらしい。
その様子がCDからも伺える。
元々ハワイアンバンドとして発足したらしいが
このときは既にスタンダードナンバーと
ニューロックの二部構成になっていた。
曲目も「いそしぎ」「真珠とりのタンゴ」「引き潮」「アリデベルチ・ローマ」
などほとんどが楽器だけの演奏でとても新鮮に聴こえる。
この時サイドギターをしていたのがNさん。
リズミカルで正確なピッキングテクニックは抜群だったらしい。
しかし、残念な事に妻子を残し若くして亡くなられた。
おこがましくもそのポジションに私が立つことになったのである。
リーダーから「ピッキングを教えておいて」と
夫が私の教育係りを仰せつかったらしい。
仕事から帰ってくるなり
「今日はギターを持った?」
「今日は練習した?」と必ず聞いてくる。
テキトーに聞き流していたが
これは他のメンバー、真剣だ。
この当時を再現しようとしている節がある。
あ~~大変だ!
「私がサイドギターをします」なんて言わなきゃよかった。
とんでもないことを口走ってしまったものだ。
指先がもうボコボコ・・・・
まもなく孫も生まれようかと言うおばあちゃんに
過剰な期待を抱かないで頂きたい。
前回の演奏は「知らぬが仏」「ビギナーズラック」
恐れ知らずの私だった。
今からうまく演奏できなった時の言い訳を考えている。