スチュワーデス物語 Part 12
11月7日から始まった専門訓練は2月29日で終了した。
半年の訓練の最終仕上げは一ヶ月間の国際線O.J.T。
これも赤茶けたスケジュール表が残っていた。
私の最初のフライトは3月2日香港便になっている。
今までずっと台北だったと思っていたのだが・・・。
沖縄はまだアメリカ合衆国が統治していたので
パスポートを持参した記憶がある。
調べてみるとこの二ヵ月後の5月15日に
日本に返還されている。
同期のYさんとセミ同期のSさん。中央が私 このときがO.J.Tだったのだろうか?
O.J.Tの最終チェックは搭乗したフライトの
パーサーもしくはチーフパーサーによって
フライト中の我々の業務知識や接客態度
また他クルーとのコミュニケーション能力などを
観察され採点されていた。
機内アナウンスも担当させられた。
右往左往しているうちにサインが点灯。
チーフパーサイーから「はい、訓練生、アナウンス!」
慌てていて「禁煙」と「シートベルト着用」のサインを見誤り
間違ってアナウンス。
男性チーフパーサーのSさんから
目を三角にして怒られたことを思い出す。
が、これ以外には楽しい記憶などない。
まったくゆとりと言うものがなかったのだろう。
一ヶ月間にわたってのO.J.T。
強烈な印象で脳裏に焼きついていても
おかしくないと思うのだが・・。
毎回が緊張の連続で私など痩せている上に食欲もなくなり
この間は心身ともにヘトヘトになっていた。
しかし、どうやらこうやら国際線のO.J.Tも終了し
厳しかった半年間の訓練を無事終了した。
つづく・・。