敬語の難しさ そしてそこから見えてくるものとは~♪
こんにちは。
蒸し暑くなってきています。
午後からは雨模様・・・梅雨ですものね、仕方ありません。
月曜日の授業、今週が最後で前期終了。
残すは木曜日だけとなりました。
この木曜日の授業で今「電話応対」の練習をしているのですが
今まで学んできた敬語をフル活用して臨むことになります。
しかし、これがなかなか困難を伴うのです。
敬語は知識として分かっていても遣えなければ意味がありません。
それに加えて社会経験のない若者は電話応対も苦手。
先日、生徒同士「かけ手A」と「受け手B」に分かれて練習をしてみました。
Aさんの電話を受けたBさん。
名指し人が留守なので伝言をお願いされました。
Aさん・・「明日そちらに持っていく資料をなくしたので新しく作成して持っていきます」
ここで当然ミスを防ぐため「復唱」しなければなりません。
Bさん ・・「かしこまりました。資料がおなくなりになったのですね。」
教室が爆笑の渦~~~♪
尊敬語は「お~になる」謙譲語は「お~する」を叩き込んでいたので
思わずそう言ってしまったのでしょうが
敬語に慣れないあいだはこんな間違いがちょくちょく起こります。
「外は雨が降っていらっしゃいましたか?」や「風がつよくてらっしゃったでしょ?」と
私に話しかけてくる常勤の先生がいらっしゃいました。
先ほど我が家にやってきたある女性。
アイロボット・ルンバを見て一言。
「ここを全部掃除してくださるんですか?」
今、読んでいる「スカートの風」という文庫本
著者は韓国人(現在は日本に帰化しています)の呉 善花(お そんふぁ)さん。
ヘソクリンが講演を聴いたのをきっかけに
彼女の本を2冊ブックオフで買ってきました。
(帯より)
27歳で韓国から留学生として来日した著者。しかし日本人の曖昧な笑顔や態度。
韓国人には考えられぬ不可思議なその人生観にカルチャーショックを受ける。
そんな困惑の中知り合った日本で働く韓国人ホステスたち。
彼女たちの姿に、日韓文化のギャップの源や意外な真実が映し出されていることに気づき始めて・・。
一留学生が李朝以来の韓国人が持ち続けてきた日本人像を打ち破り日本文化と融合していくさまと
そこから見出した韓国社会の病根と日本社会の意外な素顔を綴った衝撃のルポエッセイ。
この本の中に敬語、とくに謙譲語の部分で国民性の違いによる差異が書かれていました。
そもそも受身形で話をする日本人と真逆の韓国人。
例えば「雨に降られた」「泥棒に入られた」「傘を間違えて持って行かれた」などなど。
これが韓国語では主語は私ではなくて相手になるので
「雨が降った」「泥棒が入った」「傘を誰かが間違えて持っていった」となる。
日本人は泥棒が入ったのも自分がちゃんと戸締りしていなかったから・・
傘を間違えられたのは自分の管理が悪かったから・・・
などと非は自分にある、と捉えることからこんな形の話し方になるのだろう、という説。
そんなことを考えると自分を低くめることで相手に尊敬の念を表す謙譲語は
そもそも彼らには馴染めないのではないでしょうか。
なるほど・・・今の政治的な関係を見ても頷けます。
世代間のギャップや国民性の違いなどと簡単に言いますが
その根底にある歴史・文化の大きな違いを認識しお互いを理解しない限り
これからも両国間には困難な時代は続くかもしれませんね。