ティコティコの空

ヤフーブログから引っ越してきました。日常を綴るだけのブログです。

スチュワーデス物語 Part1 スチュワーデスとの出会い

(今日の空)

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今、日本航空が創立史上初めての窮地に立たされている。

もしかしたら、倒産!?と言う声も聞こえていたが

その度に、そんなことありえない!と反論しても

私の小さな声など届くわけもない。

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山崎豊子作「沈まぬ太陽」が映画化され昨日封切られた。

原作はまだ読んでいないが、いいタイミングで

製作公開されものだ、と思う。

何だか、先を読まれていたような感じすらする。



一昨日はOG会もあり、私の人生に大きく関わった

日本航空の名が出始めたことで

自分史のようなものを書いてみようかと思い立った。



思い出を手繰りながら、友人の記憶にも頼りながらの拙文。

どこまで、書けるやら・・・。











日本を代表し世界の空を飛翔していた日本航空

そんな時代に私はこの会社に入社した。

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今は、キャビンアテンダントや、客室乗務員

はたまたスッチーなどと少々揶揄的に呼ばれているが

我々のころはスチュワーデス。

この響きにどんなに憧れたことか。



少々話はそれるが

小学校三年から約三年間、同じ学年の男の子達から

集団でいじめられた。

気の強さから決して泣きはしなかったが

悔しい思いで一杯だった。


そんな暗い小学校生活を送っていた四年生の時。

教室で「少女倶楽部」だか「リボン」だか忘れたが

漫画雑誌をパラパラめくっていたら

その中にスチュワーデスの紹介記事が掲載されていた。

駐機している飛行機の前にズラーっと並んだ制服姿の女性達。


イメージ 4(当時私が目にした写真ははこんな感じだった)

(現代は・・写真が小さすぎて制服からはいつの時代かよく分からない)
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目が釘付けになった。

その内容を読んで


「私はスチュワーデスになって日本を飛び出してやる!」


と心に決めていた。


家に帰って、早速、母にそのことを話した。

当時、そのような仕事があることすら

田舎の片隅に住んでいる母が知る由もない。

しかし「いいね~頑張ってごらん」と言ってくれた。


目標が決まれば、後はそれに向けて始動すればいい。

言葉遣い、立ち居振る舞い、勿論勉強も・・・まあ、これはそこそこに・・。


六年生位だったろうか、姿勢の悪さを母から指摘された私は

頭に辞書を載せ畳の縁を歩いて矯正しょうとしたこともあった。

通学の時も歩く姿勢は常に気をつけていた。


兄二人の末っ子。

人見知り、わがまま、じゃじゃ馬で(私はそうは思わないが・・)

余り素直に言う事を聞く子ではなかったが

「それじゃぁ~、スチュワーデスにはなれないね!」

の母の一言は大変な効き目があったようだ。

私の操縦方法としては最強の言葉だった。


そんな、希望に満ちたおませな女の子だった。


つづく・・。