スチュワーデス物語 Part1 スチュワーデスとの出会い
(今日の空)
今、日本航空が創立史上初めての窮地に立たされている。
もしかしたら、倒産!?と言う声も聞こえていたが
その度に、そんなことありえない!と反論しても
私の小さな声など届くわけもない。
原作はまだ読んでいないが、いいタイミングで
製作公開されものだ、と思う。
何だか、先を読まれていたような感じすらする。
一昨日はOG会もあり、私の人生に大きく関わった
日本航空の名が出始めたことで
自分史のようなものを書いてみようかと思い立った。
思い出を手繰りながら、友人の記憶にも頼りながらの拙文。
どこまで、書けるやら・・・。
1950年代からナショナル・フラッグ・キャリアーとして
日本を代表し世界の空を飛翔していた日本航空。
そんな時代に私はこの会社に入社した。
今は、キャビンアテンダントや、客室乗務員
はたまたスッチーなどと少々揶揄的に呼ばれているが
我々のころはスチュワーデス。
この響きにどんなに憧れたことか。
少々話はそれるが
小学校三年から約三年間、同じ学年の男の子達から
集団でいじめられた。
気の強さから決して泣きはしなかったが
悔しい思いで一杯だった。
そんな暗い小学校生活を送っていた四年生の時。
教室で「少女倶楽部」だか「リボン」だか忘れたが
漫画雑誌をパラパラめくっていたら
その中にスチュワーデスの紹介記事が掲載されていた。
駐機している飛行機の前にズラーっと並んだ制服姿の女性達。
(当時私が目にした写真ははこんな感じだった)
(現代は・・写真が小さすぎて制服からはいつの時代かよく分からない)
目が釘付けになった。
その内容を読んで
「私はスチュワーデスになって日本を飛び出してやる!」 |
と心に決めていた。
家に帰って、早速、母にそのことを話した。
当時、そのような仕事があることすら
田舎の片隅に住んでいる母が知る由もない。
しかし「いいね~頑張ってごらん」と言ってくれた。
目標が決まれば、後はそれに向けて始動すればいい。
言葉遣い、立ち居振る舞い、勿論勉強も・・・まあ、これはそこそこに・・。
六年生位だったろうか、姿勢の悪さを母から指摘された私は
頭に辞書を載せ畳の縁を歩いて矯正しょうとしたこともあった。
通学の時も歩く姿勢は常に気をつけていた。
兄二人の末っ子。
人見知り、わがまま、じゃじゃ馬で(私はそうは思わないが・・)
余り素直に言う事を聞く子ではなかったが
「それじゃぁ~、スチュワーデスにはなれないね!」
の母の一言は大変な効き目があったようだ。
私の操縦方法としては最強の言葉だった。
そんな、希望に満ちたおませな女の子だった。
つづく・・。