ティコティコの空

ヤフーブログから引っ越してきました。日常を綴るだけのブログです。

母を訪ねて

(今朝の空)
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6日金曜日、次兄から母が入院したと連絡があった。

母は三重県に住んでいて最近会ったのは約四年前。

それ以前から娘の私が判らなくなり始めていた。

末っ子の私を一番可愛がってくれたが

その母が私を認識できない。



記憶が一枚一枚剥がれ落ちて

ついに、かすかな思い出だけしかなくなってしまったようだ。

母と懐かしい昔話ができなくなってしまっていた。



昨日早朝、新幹線で夫、次男と一緒に大阪へ。



(広島を通過)

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そこから乗り換え乗換えで母の住む街に着いた。

(病院の外観を撮ったたった一枚の写真だが、動揺していたのか全く何を撮ろうとしているのか分からない)

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病室に向かい覚悟を決めて母に会った。

黄疸が出始めかなり悪い状態だそうだが

会ってみると意外なほど元気そうで

ホッとした。



何度も「私、誰か、分かる?」と聞く。

「うん~~~判らんけど・・妙子かね」と

母の亡くなった妹の名前を言った。

母が以前、私に似ているといっていた叔母である。

若くして亡くなっている。



兄をさして、「この人は?」

「あ~~この人はいい人よ~立派な人」

義姉をさして同じ質問をすると

「この人も本当にいい人」と

大きくうなずいていた。

義姉は母が探してきたお気に入りのお嫁さん。
 

兄も義姉も本当によく母に尽くしてくれている。

遠くから見守るしかない私達だが

二人には感謝の気持ちで一杯。



ベッドの横で母の手を握り色々話かけてみる。

本人が伝えたいらしい事と言葉がかみ合っていないが

分かった振りして相槌をうつ。


何か言葉に詰まると歌いだす歌がある。

「花積む野辺に~~陽は落ちて~~」という昔の歌だが

ニコニコと童心に帰ったように歌う母を見ていたら

我慢していたが泣いてしまった。

そんな時でも母は私に無関心だった。



年令的なことや病巣が手術困難な場所にあり

これからの治療方針では

母の命の長さに多少のずれが生じると思われるが

いずれにしろ母との別れは間もなく確実にやってくる。


幸い自分の病気や死に対する恐怖心もない。

歌を歌いながら意識が薄れていって・・

これほど幸せな最後はないのではないだろうか。



別れ際「また、来るからね。」と言って母を抱きしめた。

「すみませんね~」と最後の最後まで他人行儀な母だった。