ティコティコの空

ヤフーブログから引っ越してきました。日常を綴るだけのブログです。

天に召された母へ

 
 
 
 
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私の母が、9月5日
86歳の生涯を終えてこの世を去っていきました。
 
前日の4日が次男の婚約者家族との顔合わせでしたが
この日に影響がないように配慮してくれたのか
翌日未明、4時過ぎに息を引き取りました。
 
 
その一時間ほど前
クーラーの効いた部屋に寝ていたにも係わらず
私は寝汗をかいて目が覚めました。
 
今まで一度も経験したことのない程の寝汗でした。
 
身支度を整え新幹線に飛び乗りました。
もう臨終を迎えていることは分かっていますが
居てもたってもいられませんでした。
 
 
母は既に家に帰ってきていました。
 
 
大変穏やかな、平和な顔で
本当に寝ているようでした。
 
「苦しまなくて逝けたからね」と
私達に語りかけているような
そんな寝顔でした。
 
私が自分のお化粧品を使って
死に化粧をしてあげました。
 
冷たくなった母の顔はそれはそれは
シワ一つない綺麗な顔で
仕上げに明るい色の紅をつけると
息を吹き返したのではないかと思われるほど
本当にイキイキとした顔になりました。
 
子供、孫に囲まれて
泣いたり笑ったり
皆でわいわい言いながら・・。
 
映画「おくりびと」の一シーンのようでした。
 
 
その夜母は家族に守られて自分の部屋で一晩あかし
翌日が通夜、そして次の日が告別式でした。
 
 
兄弟で話し合って「家族葬」にしました。
宗教色無し、弔問客無し、で済ますはずでしたが
やはり近しかった方々がいらしてくださって
身内だけとは行きませんでしたが
ほのぼのとしたいい葬儀だったと思います。
 
途中、長男から
「何とか仕事の都合が付いたのでそちらに行けそう」
との連絡が入りました。
博多から名張まで普通五時間はかかるところを
うまく乗り継げて四時間で駆けつけてくれました。
 
しかし、残念ながら一時間ほどの差で間に合わず
息子が到着した時は
既に荼毘に付されていました。
 
 
お骨上げ、そして納骨まで済ませて
私と息子はその日のうちに家路に着きました。
 
 
 
 
別れの言葉
 
 
ママ、86年の人生、お疲れ様でした。
 
長かったですか?短かったですか?
 
多分、前半は、山有り谷ありの波乱万丈の人生、短く感じたでしょうね。
でも、後半は自分の生活を楽しみながらの、有意義でハッピーな
ゆっくりと辿った人生だったのではないでしょうか。
 
そして人生劇場の最終章は、今までの全ての記憶を消し去って
子供や孫の名前も顔も忘れてしまい、資産も残さず、ゼロになって
私たちの前から姿を消してしまいました。
 
でも、ママから教えられた数々のことは私たちの礎となっています。
 
姿勢を正しなさい、綺麗な言葉を遣いなさい
本を読みなさい、楽しいときは大きな声で笑いなさい。
 
まだまだここに書ききれないほどたくさんのことを
教えてくれましたが
ママから引き継いださまざまなことは
私というフィルターを通して
確かに私の子供たちに伝わっています。
 
これから私たちがどんな人生を歩んでいくか
どうか天国から見守っていてください。
 
36年前に別れたパパとはもう会えましたか?
ハンサムだったパパは今でもハンサムでしたか?
 
私たちもいずれそちらに行きます。
それまでパパと仲良く待っていて下さいね。
 
言葉では言い尽くせないほどの感謝の言葉を贈ります。
 
本当になにもかも、ありがとうございました。
 
ママが愛してくれた、末っ子の○○○より
 
 
 
この手紙を母の棺の中に入れました。
今頃読んでくれているでしょうか。