ジャンボジェットの終焉~思い出をつらつらと~♪
おはようございます。
私の風邪も収まりつつありますが
今日になって嗅覚が鈍くなっていることに気づきました。
味覚は普段通りなので食事は変わりなく・・少食です(笑)
昨日を持って日本の航空会社から
ボーイング747が無くなってしまいました。
先週の日曜日、福岡空港でラストフライトが見られるから
行ってみないかとヘソクリンから誘われたけど
体調不良でその気になれず
結局はテレビ画面でのお別れとなってしまいました。
羽田空港には大勢の人がやってきたようですね。
(ネットより)
ジャンボジェット=私の青春
と言っても過言ではありません。
詳しくは「次回へ」となったまま音沙汰なしの(責任者は誰だ?)
「スチュワーデス物語」に書いていますが
747が日本航空に導入されたことによって
私がスチュワーデスになろうと思った時期(年齢)ともちょうど重なり
当時難関と言われたJALの国際線に乗務することができました。
日本が先進国へと成長し始めたちょうどその頃で
大量輸送時代の幕開けでした。
映画やテレビの中でしか見たことのないジェット機に
自分が乗務できることが信じられませんでした。
様々な国に行き
乗務以外の日にはプライベートな楽しみも。
これは確かロサンゼルス、ハリウッドの野外音楽堂ですね。
こちらはディズニーランドの「It's a small world」
また、多くの著名人と出会うこともできました。
「学生街の喫茶店」や「ロマンス」などのヒット曲を出して
当時人気絶頂だった「ガロ」
私たちからお客様に対して一緒に写真を撮ったり
サインを求めることは固く禁じられていましたので
この写真は彼らからのリクエストでした(ホント!)
この後、ちょっとしたお願いをされましたが
ここに書く事は控えておきましょう~(笑)
カレンやリチャードとの笑顔の交換もありました
私と同じ年頃のカレントは若くはつらつとしていて
ファーストクラスからエコノミーに座っているスタッフのところに行っては
何やら楽しくお話していました。
ファーストクラスに戻ろうとするカレンと
通路でぶつかりそうになったことがありました。
私より少し高いくらいで
あまり長身ではなかったように思います。
その後の彼女の壮絶な人生を
その時の彼女から感じ取ることはできませんでした。
カラヤンが一人でファーストクラスに乗ってきたこと。
ちょっと近寄りがたい雰囲気の方で話しづらかったこと。
日本の有名芸能人の付き人さんが虎の威を借りて威張っていたこと。
殺人犯が一番後ろの席に座って周りを刑事さんに囲まれていたこと。
ハイジャックで有名になった「よど号事件」の副機長だった江崎さんと
一緒のフライトになってバンコクに行ったこと。
機内で聴いた千葉紘子の「折鶴」が気に入ったフランス人医師が
東京に着いたら土産にこのレコードを買うから
付き合って欲しいと言われたこと(軽いナンパ?)
柔道のヘーシンクのお尻が大きすぎて席が一つでは間に合わなかったこと。
機内アナウンス担当で間違ってアナウンスしてしまったこと。
ヨーロッパの団体客の男性からそのことでこっぴどく叱られたこと。
す○きと言う男性パーサーが私にいつも辛く当たっていたこと。
くまのプーさんのようなパーサーは優しかったこと。
アジア路線で機体に雷が落ちたこと。
その時死ぬかも・・と思ったこと。
乗務していた飛行機が上空でニアミスを起こしていた事を
数日たって知らされたこと。
友人がマレーシアの墜落事故で亡くなったこと。
ベトナム戦争の頃、上空から見た沼地が月明かりで不気味に光っていたこと。
アラスカ上空で魂が抜き取られるほど美しいオーロラを見たこと。
移住していたフラジルから一時帰国した日本人の団体客が
羽田上空から東京の夜景を見て泣き始めたこと。
機内が燃料のケロシンとタバコの入り混じった匂いだったこと。
「フーテンの寅さん」を観て笑っている外国人乗客がいて
笑いのセンスが伝わっているんだと思ったこと。
ホノルル行きのジャンボジェット全ての乗客が新婚さんだったこと。
夫と通路で隔たれた席を割り当てられ泣いていた新婦がいたこと。
帰りはそのカップルをファーストクラスにしてさしあげたこと。
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僅か3年弱の乗務経験でしたが
普通では決して味わうことのできない
「未知との遭遇」の連続だったと思います。
私が今あるのはボーイング747のお陰ですね。
(ファーストクラス二階ラウンジにて)
ジャンボ! お疲れ様でした!