北京日本人学校を卒業されたみなさまへ
今日、娘からメールが入り、昨日の私のブログ記事をフェイスブックに載せていいかとのこと。
なんでもこの時期になると北京日本人学校でともに学んだ仲間たちの誰かが
必ず話題にあげるから・・ということでした。
私の不確かな記憶と不正確な日記を元に書いた内容だったので
皆さんに読んでいただくほどのものでもないかと思いますが
もし興味がおありならぜひ目を通していただけると幸いです。
また、この日記の中に夫が備忘録として残しておいた紙がホチキスで止めてありました。
これはある程度信ぴょう性のあるものだと思われますので
5月18日から23日までの様子をここに書き記しておきます。
こちらも併せて読んでいただくと私の日記より
より正確な当時の様子がわかっていただけるかもしれません。
5月18日(木)
午後大雨。自主的にバス80台が集められ、天安門で座り込んでいる学生に提供される。
李鵬首相、人民大会で学生代表と会見。学生側の質問・要求には一切答えず。
断食学生の健康についてのみ触れる。
5月19日(金)
李鵬、軍隊の介入をほのめかす。中央直属の38軍が出動拒否。
5月20日(土)
外地からのデモ参加者は数千人。
軍用ヘリコプター5機出動。上空で威嚇飛行。市民はヘリコプターに向かい罵声を浴びせる。
午前10時より厳戒令が下される。デモは禁止されるが、依然として続く。
軍の侵入を防ぐため、市民が至るところで道を塞ぐ。
中日友好病院近くでは昼過ぎ25台の軍用車を市民が追い返す。
学生入院患者1000人を越える。そのうち中日友好病院では182人が入院。
協和病院で学生ひとり死亡。
5月21日(日)
朝と夜、軍用ヘリ、上空で威嚇射撃。中央直属の38軍が出動拒否のため、27軍が出動。
新彊ウイグル自治区からも軍隊を要請、北京駅に到着。
市民はバス・トロリーバスを用いて至るところ道を塞ぐ。軍の夜襲を予期し、夜になると人が増加。
スローガンは最後の闘いだ、学生を守れ、市民よ団結せよに集中。
燕山区、軍により鎮圧か?豊台区、警官が学生を殴打。学生数十人が怪我。
バス、地下鉄完全停止。
5月22日(月)
午後3時、中日友好病院前で4台の軍用車が市民によって追い返される。
北京市周辺に集結している兵士は何のために来ているのかわからない人が多い。
郊外にいるので食べるものがなく、市民が説得の上、食べ物を与えて追い返す。
李鵬<20万人の市民を殺しても軍隊を介入させる、北京中の牢屋を開けておく>と発言か?
至るところ、十字路で数千人の市民。
カナダ訪問中の万里委員長、厳戒令をほのめかす。
5月23日(火)
バス・地下鉄運行開始。北京郊外で市民70名あまりが軍に殴られ怪我。
中日友好病院脳外科に軍隊によって頭を割られた学生2人を収容。
原文のままです。
残念ながら23日で終わっていますが天安門事件に至るまでの
当時の緊迫した様子が伝わってきます。
我々からは見えないところで様々な動きや
市民による軍隊の説得などが行われていたのでしょうね。
中国に住む日本人として垣間見たこの国の矛盾。
未だよく理解できない国ですが、そんな大国を隣人に持つ我々は
一体どう構えたらいいのか・・・。
「集団的自衛権」も含め、考えさせられる6月4日でした。