眼鏡橋、出島、「沈黙」の隠れキリシタンの里へ~♪
毎年三月には九州各県の持ち回りで
夫たちの仕事を兼ねての夫婦同伴の旅行があります。
去年は大分、今年は長崎でした。
わざわざ行くこともなく今回初めて出向いたところもあって
有意義な旅でした。
街中を案内してくれるボランティアの方と公園で合流して
長崎の街をさるいてきました(散策しました)
市内を流れる川は思った以上に深くて
水量も多く、昭和57年の水害で被害も甚大だったようです。
ハートマークの石が観光名所になっているようですが
確か熊本城にもあったような・・・。
長崎には何度か来ていますが
「眼鏡橋」をじっくり見て写真に収めたのは初めてです。
私の写真の切り取り方が悪いですね~。
下の飛び石が何だか乱杭歯のようにも見えてしまっています
この橋の上で7名の女性だけで記念写真。
今回初参加のとても綺麗な方がいらっしゃいましたが
皆さんとすぐ打ち解けて仲良くなっていました。
得な性格ですね♪
人見知りの私にとっては羨ましい限りです。
この後お約束の出島に行きました。
(長崎さるくちゃん?だったかな?)
外国からの観光客で賑わっていました。
皆さん男性も女性も着物を着つけてもらって
出島の中をさるいていました。
一旦ホテルに戻って一休みしたあと夫たちと合流して~
夕食は茂木町にある「料亭 二見」へ。
タイやヒラメが舞い踊るような海鮮づくしのお料理でした。
焼いた卵、ピーナッツ、芋、アワビ、鯛。
焼き卵はもうお腹に入らずに残してしまいました。
二次会はカラオケへ。
毎回この旅行でマイクを独り占めして渡そうとしないご主人の脇に
ピタッと貼りついて見張る奥様。
夫も反対の脇に座って彼の歌をコントロール。
そのご主人とマイクを取り合うもう一方の歌好きのご主人。
爆笑でした。
明けて、翌日は映画「沈黙」の舞台になった
隠れキリシタンの里へ。
興味のある方はこちらからどうぞ~
初めに行ったのは「沈黙」の作者遠藤周作文学館
ついこの前公開されたこの映画
まだ観ていなくて残念でした。
帰ってきて観に行こうと調べてみたら
もう上映されている映画館がなくて・・。
ここに展示されていた遠藤周作の子供の頃のエピソードと
次男の思い出が全く一緒で夫と笑ってしまいました。
次男もこれくらいの大物になってくれればいいけど~ってムリよね!
車で移動して外海(そとめ)地区の教会堂へ。
1868年フランスから来日し長崎で布教活動を始めた
ド・ロ神父さまが建てた教会です。
彼は2億円とも10億円ともいわれる母親の遺産を
すべて布教活動に注ぎ込み
人道支援も続けた方。
旧出津救助院
ここではマカロニやそうめんのようなものを製造し
生産の場を女性たちに提供していました。
・
唯一残っているド・ロ神父さまの直筆の文字。
墨で丁寧に書かれた「2」という数字が一番好きですと
案内係の男性がおっしゃっていました。
また、下の箱に貼られた古い英字新聞は
当時の日本の様子も書かれている
貴重な資料だと言うことが最近判明して
保存のために一時期外部に持ち出されていたそうです。
今までクリスチャンでありながら
上っ面しか理解していませんでしたが
子孫の暮らすその地を訪れてやっと実感を伴って
考えることができるようになった・・かな?
そしてここからは「おまけ」ですが~
ある人の一言がきっかけで
マイクロバスの運転手さんが連れて行ってくれたところが
こちらです。
玄関に名札がありますが・・・
そう、福山雅治さんのご実家だったところ。
今は伯父さんだか叔父さんだかが住んでらっしゃるそうです。
この話をある方にすると
「ゲスの極みの人の家はありませんでしたか?」って。
そうでしたね~。あの方の家も長崎でした。
こうやって観光客から言われるようになって
見物客がやってくるようになったら
ご実家の人は堪らないですね~。
帰りに土産のカステラを買いましたが重たかった!
「これ、博多駅で買っても良かったね」(笑)
その夜は次男家族と夕食。
ハリーは寝てしまっているし
なあたんも眠いのを我慢しながらの夕食でしたが
4月から心機一転の次男への餞の宴でした。
最後に・・上に書いた遠藤周作と次男の同じエピソードの事ですが~
「サムイ、カタイの反対の言葉を書きなさい」
という問題の意味がわからず「アツイ、ヤワラカ」とは書かずに
「イムサ、イタカ」と書いたそうです。
「イムサ、イタカ」と書いたそうです。
というくだりでした!