天使はどこから?
(昨日の空)
(今朝の空)
(ご来光)
二~三日前、息子から、新しく撮った
赤ちゃんのエコー写真がPCに送られてきた。
以前よりかなりはっきりと写っている。
指の数まで・・・。今度はちゃんと5本見える。
我々の頃から考えると隔世の感!
息子曰く「ちゃんと、おてぃんてぃんが付いてるよ~。」とのこと。
よ~く見るとホント、それらしいのが写っている。
私はなぜか最初から全く女の子は頭に浮かんでこなかった。
男の子のイメージしか湧かなかったのだ。
だから「当然でしょ」という感じである。
あと五ヶ月もすれば生まれてくるが
この子が大きくなって自分が母親の体内にいた時の写真を見たら
どんな感想を抱くのだろうか。
早く聞いてみたいものだ。
そんな話を先日、非常勤講師室でしていたら
一人の先生が「息子の友達のお母さんから聞いたんですが・・・」
何でも、その息子さんの友達は幼稚園の年少の頃、お母さんに
「白いひげを生やしたおじいさんが、僕に、おかあさんを選んでいいよ。と言われたので、それで僕は優しそうな女の人を見つけて生まれてきたんだよ。」
と話したそうだ。
大きくなった今ではその話は覚えていないとのこと。
こういう話は良く聞く。
私の愛読書である「生きがいの創造」(飯田史彦著)という本の中でも
同じような話をする子が冒頭、プロローグのところに出てくる。
私はそれを信じている。
人間は、様々な試練を乗り越え成長するためにこの世に生を受け そして、その定めを受け入れ、決められた人生を全うしなければならない
昔から言われてきたこのような宗教的な教え、哲学的な思考は
全て「人は何のためこの世に生まれ、生きて、死んでゆくのか」
ここに集約されると思っている。
しかしこの何のためにが理解できないと、
また前記のような抽象的な表現だと分かりにくく
定めを毅然と受け入れることなどできやしない。
人生での悩み、苦しみ、悲しみ、煩悩
自分や周りを取り巻く様々な出来事は己の映し鏡。
人のせいばかりでは決してない。
今までもこのような言葉はたくさん聞いてきたが、
ストンと腑に落ちてこなかった。
しかし、ある時期、様々な本や人に出会って
この考え方が少しずつ納得出来るようになった。
その時私は本当に救われた。
当然悟りが開けたわけではないし、
そう簡単に開けるとも思っていないが
その入り口の明かりらしきものが遠く微かに、
そしてほのかに見えてきた、と言ったところだろうか。
孫が話せるようになったら
どうして息子夫婦を選んで生まれてきたのか
聞けるものなら聞いてみたいな。
ついでにこのyuruyurumamaが空から見えなかったかも
忘れずに聞いてみよう!