スチュワーデス物語 Part 4 結果発表
(昨日の空)
(左上の小さな雲は人が荷物を肩に走っているようにも・・・)
(今朝の空 今日は本当に寒い!)
スチュワーデス物語 Part2 から続く・・。
信じられないことだが
こちらは九州で約60倍の倍率を突破しての合格だった。
最終合格者20名が召集された。
この中にはミス日本の熊本代表も。
私は人の顔を覚えるが唯一得意とするところで
彼女のことはテレビで一見しただけて覚えていたので
声を掛けると、やはり本人だった。
この人とは別の場所で再びめぐり合うことに・・。
私の最終目標は唯一国際線のある日本航空。
全日空への返事は一旦保留。
そして、一週間後の本命日本航空の発表を待った。
当時、合格発表は電報。
まさに、「桜散る」なのか「、桜咲く」なのか。
10月の、とある日。
外出を控え一日中家で待機していた。
そこへ、遠くから郵便屋さんのバイクの音。
我が家の前で止まれば、合格。 通り過ぎれば不合格。
耳を澄ましていたら、バイクが止まった。
しばらくしてノック。そして
「○○さ~ん 電報で~~す。」 |
この日の喜びは今でも懐かしさと共に強烈に蘇ってくる。
「ゼッタイにスチュワーデスになる」と公言していたし
それまでの経緯から、何が何でも合格したかった。
私の唯一の夢だった。 それがとうとう叶った瞬間だった。
父が当時の私の喜びようを「○○子がこ~んなに飛び上がって喜んだよね」と
いつも笑いながら両手(指 くらいかな?)を上下に広げて、話していた。
私は運がよかったと思う。
この頃から日本が高度経済成長期に突入。
渡航自由化と所得の増加により、海外旅行者数が急増。
そんな時代の波を先取りし、いち早くジャンボの導入に踏み切り
航路を拡大し始めた時だった。
当然、職員の採用も多くなったし、私もその波にうまく乗れたのだ。
こうして、私の約10年越しの夢が実現した。
つづく・・。
(昨日行った学校の玄関先には生け花が)